カルテ1:縛る女7
もうこんな時間か・・・クライアントと話をしていると時間はあっという間に過ぎて行く。顔を上げると本橋の視線ともろにぶつかった。
「自己愛・・・ですか・・そうかもしれませんね・・」自嘲気味な笑みを見せる。
また暫くの間、お互いに一言も話さない奇妙な間が二人の間に鎮座した。私は穏やかに語りかける。「どうでしょう、もう一度、そうですね、例えば、1週間でも内田さんとまったく接触せず、過ごしてゆっくり考えてみられてはどうですか?もちろん、メールも電話もすべて止めて、彼女と出会う前の貴方の事を思い出してみて下さい。それまで、週末はどうされてました?例えば、友達と一緒に遊びに行かれたり・・?」
「・・・昔は、キャンプが好きでよく友達何人かと連れ添って山に行ってたものです。釣りだってあんなに好きだったのに、いつの頃からか、まったく行かなくなりましたね・・・確かに僕は咲子の事に精一杯で自分や周りが見えていなかったように思います。」
「そうですね、本橋さん、とりあえず、1週間だけでも、私が言ったようにしてみて貰えませんか?そして、1週間後にもう一度私のところにいらしてください。」
「分かりました・・・いきなり押し掛けて長々とお話を聞いて頂いて申し訳ありませんでした。」そういって本橋は立ち上がり、深々と礼をした。
まだ、社会的通念はあるんですね・・まあ、そうでないと、このご時世ただでさえ大変だというのに会社でやっていくのは難しい。仕事に関してはやり手の方なのかもしれませんね。下手に真面目そうですし、いや不器用と言うべきか・・・?私は、にっこりと微笑むと、彼を入り口へ案内しつつ横目で三村君の様子を伺う。彼女はちらりとこちらの方を見ると立ち上がろうとする。私は目で彼女を制すると、そのまま、本橋さんに、もう一度挨拶をした。
「本当に失礼致しました。」パタンと音がして本橋がでていった。
三村君が私の方を軽く睨んで口を開く。「センセ、いつも言ってますが、ボランティアじゃないんですよ?いきなり押し掛けてきて何時間も話をして、言いたい事だけ言って出て行くなんて・・・」とぶつぶつ文句を言い始める。
私はモゴモゴと返答する・・「いや、まあ・・・そうだけど、でもこれだって仕事の一環なんだし、そんな怖い顔しなくても・・ね?」
「何言ってんですか、センセがそんなだから毎月毎月赤字になっちゃうんですよ!もうちょっと経営の事も考えてください!事務所の維持費だって馬鹿にならないんですから。」
それを言われると私もつらいのだ。なんせカウンセラーと言う仕事は聞いていくらの世界だが、内容に反して、儲かるかと言われればはっきりいって空しい。うまく経営をしているところもいっぱいあるのだろうが、つい私はお金の事は二の次になってしまうのだ。
「それよりも、三村君、今朝頼んでおいた資料なんだけど・・・。」慌てて私は話をそらす。
「話をすり替えないで下さい・・。まあ、良いですけど・・・もうデータは引き出してあります。ファイルナンバー 523番です。」
「さすがだね、三村君、ありがとう。」もちろん感謝の言葉は忘れてはいけないのだ。
三村君はふいっと窓の外を見ながら「いいえ。」と呟いた。照れているのだろうか?何はともあれ、とりあえず、ファイルに目を通しておこう。このファイルは私がシカゴにいたときに得た宝ともいえるデータである。様々な症例や事例、特徴が詳しく書かれており、中には個人情報や機密事項も含まれているので、門外不出のデータなのだが、これらの記録は私が仕事をしていく上でとても大切なものだ。デスクの前に座り私は、ファイルをクリックした。
画面に、データファイルが映し出された。その中に入っている1枚の写真に私は目を留めた。これだ・・・。ジェシカ ミッドフォード24歳(偽名)、美しいスタイルと顔立ちを持つ、イギリス系アメリカ人だった。私は目を閉じてその時の情景を思い出す。そう、彼女がクリニックを訪れたのは初夏の暑い日だった