カルテ1:縛る女4
私は、洗面所に向かい、手洗いとうがいを済ますと、応接室に座る男のもとへと出向いた。外出からの帰りにはしっかり清潔に・・外にはバイ菌がいっぱい居るんですよ!と三村君は母親のようにうるさいときがある。
こちらに気付いて男が顔を上げる。中肉中背。グレーのスーツの上下に地味なネクタイ。ホワイトカラーのシャツがやけに眩しい。短髪に可も無く不可も無いといった容姿の顔が乗っている。見た目はどこにでも居そうな普通の青年だ。だが、目を合わせた途端、捕食者に餌食にされるウサギのように怯えが走ったのを私は見逃さなかった。
私は努めてにこやかに笑い、立ち上がった彼と対面する。
「え〜っと、あなたは、内田さんの元彼という・・。お名前お聞かせ願いますか?」
「本橋です。本橋 亮太・・・。あの・・咲子にここにくるようにと連絡があって・・・」本橋という男はおずおずと答える。
・・この男には自尊心と言う物が無いのか?「内田さんに、言われたからここに来られたのですか・・・?貴方、お仕事されてるんですよね、こんな時間に抜け出して大丈夫なんですか?」自然私の口調に少し剣が入るが、それぐらいは許してほしい。女に言われたからといって、自分の仕事を投げ出してくる男は実際どうかと思う。
本橋がうろたえながらフォローする。「いや、、僕今日は、外回りの営業で・・。その、大丈夫です。ちゃんと仕事はしてますから・・・。」
私はふう、と短く息をはくと言った。「まあ、いいでしょう。確かに貴方のお仕事の事まで私が心配することも無いですからね。では、せっかくいらして下さった事ですし、お話を伺ってもよろしいですか?」
「は、ハイ・・。でも、あの・・何を話せば良いんですか?」
自分の置かれている状況を理解していないのだろうか。。どうもこの男と話していると調子が狂う。私は口を開く。「そうですね・・。まずは貴方と内田さんの出会いから、現在に至るまでのいきさつをお話願いますか・・?」
村田君が入ってくると、お冷やを二つテーブルの上において出て行った。朝の時の態度と違う所をみると、彼女も突然の訪問者に腹を立てているのだろうか。仕事に熱中している時に邪魔をされるのを嫌う彼女のささやかな復讐?と言った所か。まあ、何にしろ話が長くなりそうなのは、目に見えている。きっとそのうち喉が渇くだろうからちょうどいい。
本橋は握りしめた拳に目を落としつつ、語り始めた。「僕が咲子と出会ったのは、友人に誘われて行ったサークルの飲み会でした。人数合わせに無理矢理連れて行かれたものの、僕はああいった賑やかな集まりは苦手で、、でも場の空気を悪くする訳にも行かないので適当に周りと合わせて話したりしてました。咲子は、取り立てて目立つ美人ってほどでは無かったんですが、よく気がつくタイプで、幹事のフォローをよくこなしていて、なんかしっかりした人だなって気になって、飲み会が終わった後に話しかけてみたんです。
咲子はすごく知識も豊富で、話しているとあっと言う間に時間がたって行く様で、自分でもどんどん彼女に惹かれて行くのが分かりました。それで、その後メルアドの交換をして、何度か合ううちに付き合おうと言う事になりました。
最初は何もかもが新鮮で、彼女の笑う顔が見たくて、色んな雑誌を調べて、人気のデートスポットに行ったり、高級レストランで食事したり、本当に僕は咲子がいてくれるだけで幸せだったんです。付き合い出して1〜2年はそれでも良かったんですが、僕が就職して仕事が忙しくなると、なかなか合う事ができなくなって、、それでも時間を見つけては色々な所に連れて行ったり、プレゼントを上げたりしてました。優先順位が咲子だから、自然と他の友達とも疎遠になってきて、これじゃあ、不味いと思って友達と仕事の帰りに飲みにいったりすると、必ず咲子から電話がかかってきて、むくれられるので、機嫌を直してもらうのが大変で、またそうこうしてる間に他の友達ともうまく行かなくて来てました。
そうすると、今度は、なんで僕に友達が居ないのかって逆切れされて、、友達を優先させようとすると、咲子は目に見えてむくれて機嫌が悪くなるというと、私が悪いっていうの?って怒られて・・僕は咲子を失いたくなかったからなんでも彼女の言う通りにしてきました。」
そこで、一気に話して喉が渇いたのであろう、本橋は水を取り、こくりと飲み下した。
なるほど・・と私は相づちを打つ。「それからどうなったんです?」