カルテ2:空(から)23

「兄さん・・・」
「ばあちゃん喉乾いてるんだろ、これで何か買って来てやれよ。」そういって500円玉を僕に手渡す。いつからここにいたのだろう、いや、いつから話を聞いていたのか・・。
「うん」僕は500円玉を握りしめてその場を立ち去った。いままで万引きを繰り返して来た時は爽快感はあったが、今心の中に満たされているこんな温かな感情は得る事ができなかった。
ばあちゃんが自分を許して受け入れてくれた事がこんなに涙がでるほど嬉しい物だとは思わなかった。無条件に愛されて許される、それがどんなにかけがえのないものか僕は今まで知らなかったんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先ほどまで俺は両親を病院の外に連れ出し、自分自身知らぬフリをして隠し続けて来た本心をぶちまけた。親父とおふくろは意外にもそれをずっと黙って聞いていた。そして俺が話し終えた時、親父がたった一言こう言った。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
俺は・・・俺はどうしたいのか。改めてそう聞かれた時、言葉に詰まった。そう俺は自分が空っぽなのを知っている。今までは親父の後を継ぐという大義名分がそれを覆い隠していたが、それを払いのけた俺には何があるのか・・・
親父は何も答えられない俺をしばらく見つめていたが小さく息を吐いてこう言った。
「まあいい、とりあえず一度病室に戻ろう、そろそろおふくろが目覚めているかもしれない。」
出て行ったときとは反対に親父が先頭に立って歩き始め、その後を俺とおふくろが黙ってついていく。以外に親父の背中を見て広いなと感じた。
病室の前まで来た時、ばあちゃんと貴史の話し声が聞こえてきた。最初ちらっと聞こえてきた話の内容に親父はドアノブを回す事無く立ちすくんだ。

話は途中からだったが、それでもばあちゃんの必死の思いはドアの外で立つ俺たちにも届いたんだと思う。ふと隣に立つおふくろを見ると唇を噛み締めて泣きそうな表情をしていた。いつもはばあちゃんと喧嘩しても気丈でプライドの高い母親のそんな顔を見たのは初めてだった。

部屋に入った俺は言葉無くベットに横たわる祖母を見据えた。4人の視線が一瞬絡み合う。誰も何も言葉を話さない。おや何と言って良いのかわからないのだ。
沈黙を破ったのは親父だった。そっとばあちゃんの側まで来るとその手を取り言った。
「貴史が済まなかった。」
「・・気にせんでええ、済んだ事だ。それに私もお前達に謝らなくてはいけん事が沢山ある・・・美代子さんにも・・」
「お義母さん・・・・」
俺は不覚にも涙がでてきそうだった。感動したとかそんなもんじゃない。ただ何か心が少し満たされたような気分だった。

弟がポカリスエットや麦茶などを手にもって帰ってきた。それから、1時間ほど、俺たちは色んなことについて話した。家族でこんなに色々な事を話すのは初めてだった。そして今まで自分がどれだけ家族の事について何も知らなかったのか、いや知ろうとしなかったのかという事を思い知った。部屋を巡回に来た看護士から付き添い一人を残し、今日はもうお帰り下さいと言われ、おふくろは、ばあちゃんの世話をすると言って病院に残り、俺たち三人は親父の運転する車に乗って家に戻った。こんな色々な事がいっぺんに起るとは思わなかった。

次の日、よほど疲れたのか自然に目が覚めた時には昼を回っていた。大学の講義には間に合わないな・・・。俺は部屋を出ると階下に降りて行く。
台所にはいつ戻ってきたのかおふくろの姿があった。
「遅かったのね、今日の講義は?」
「今からじゃ間に合わない、今日は欠席するよ。」俺は答えながらおふくろを見る。昨日二人残ってばあちゃんと、どんな話をしたのか、気にならないと言えば嘘になる。それに何とはなしだが、おふくろの雰囲気が柔らかくなったような気がした。
「今日、貴史が学校から帰ってきたら、一緒に昨日の刑事さんの所に行ってくるわ。お義母さんからも宜しく頼まれたのよ・・・。私、本当に貴史のこと、なにも分かっていなかったのね。母親失格だわ・・・。あなたにも、辛い思いをさせてたんでしょうね・・・。」自嘲気味に呟く。

おふくろは俺の前に、甘い香りのするカップを置いた。そういえば小さい頃はよく作ってくれてたっけ、おふくろのココア。一口、くちに含むと甘い香りが鼻孔一杯に広がった。なんだかずっと忘れていたような懐かしい味だった。
「俺は・・そうだな、少し前まで空っぽの自分を持て余してたんだ。でも最近面白い奴に出会ってさ、俺自身気がつかなかった色んな物を目の前に提示された。俺は、まだ自分がどうしたいのか分からないけど、これから少しずつ空っぽの中身を埋めて行く事ができると思う。またそいつがすげー、気障な男でさ・・・・」母親にこうして自分の事を話す事など今まで一度もなかった。なんか新鮮な気分だ。そして俺は昨日の去り際に先生が言った言葉を思い出していた.

         前のページへ  / 小説Top / 次のページへ