カルテ2:空(から)20

少し晴れやかな気分で家に辿り着いた俺は予想だにしてなかった事態を目の当たりにする事となった。いつものように玄関の鍵を開け、中に入った俺の目に飛び込んで来たものは、階段の踊り場で倒れている祖母の姿と、階段の上でしゃがみ込んで青くなっている弟の姿だった。
一瞬で何が起きたのか理解すると、俺は祖母の近くにより、脈を取る。これでも一応大学で一通りの救命活動を学んでいる。
「貴史!ぼーっとしてないでさっさと救急車を呼べ!」俺は階段の上でしゃがみ込む弟に怒鳴りつけた。その声に弾かれたように弟が顔をあげ走って電話をとるのを確かめると、今度は祖母の身体をゆっくりと仰向けに寝かせた。

不味いな・・・頭を打っているかもしれない。脈も弱々しい。一体何故祖母が階段から落ちたのかは後で貴史に問いつめるとして、とりあえずは教科書を思い出しながら応急処置を施す。
まもなく、弟が側にやってきた。青い顔のままだ。
「救急車は呼んだか?それより貴史、何があった・・・?」
「僕は・・・僕は悪くない!悪くない!」錯乱状態に陥った弟の頬を一発殴りつける。
「しっかりしろ!まさかお前がやったのか?お前が突き落としたのか?」
「ちが・・う、違うんだ、まさかあんな事になるなんて、僕は・・・」そういって貴史はうな垂れる。俺はイライラと腕時計を確認しながら弟に詳細を聞く。
「別にお前を攻めている訳じゃない、ともかくばあちゃんがこうなった理由を説明しろ!」

そうすると、ぽつり、ぽつりと弟が話だした。「今日も、いつもの通り、兄ちゃんが出て行った後で、母さんとばあちゃんが喧嘩を始めたんだ・・・。聞かないようにしようと思って、僕はすぐに部屋に戻ろうとしたけど・・・ばあちゃんが、怖い顔で僕に話があるからリビングに残れって言ったら、母さんがばあちゃんの話は聞く必要がないからさっさと部屋に戻って勉強しろって言われて、二人がまたそれで口論を始めたのを見て僕は部屋に戻ったんだ。

それからしばらくして母さんは怒ったまま、家をでていって、ばあちゃんが僕の部屋にやってきた。」
「それで?」
「部屋に入ってくるなり、ばあちゃんに詰られたんだ。お前万引きをしてるのかって。」
「万引き?お前、本当にやってたのか?」自分と違い品行方正な息子として知られる弟の告白に俺はびっくりする。
「う、うん。僕・・色々な事でストレスが溜まってるときに、友達にすっきりするからって誘われて万引きしたのが初めだったんだけど、だんだん止まらなくなってしまって・・。やっちゃいけないって分かってるけど、物をとるスリル感を味わってからどうしても、イライラした時にやってしまいたくなって・・盗ったものは全部見つからないように机の引き出しに鍵をかけて入れておいた。それが、ばあちゃん、たまたまデパートで僕が万引きしているのを目撃したらしいんだ。」

「・・・それで詰め寄られて逆上して突き落としたのか?」
「ち、違うよ!見られてたって知って、色々と怖くなって、何か理由をつけてごまかそうとしたんだけど、ばあちゃんが、俺が机の中に隠していた品物を何故か持っていて、これは何処で手に入れたって詰め寄られて、僕、頭の中が真っ白になって、ついばあちゃんを振り切って逃げようと思ったんだ。そしたらばあちゃんが僕の後を追いかけて来て袖を掴んだからつい振りほどいたら、ばあちゃんがバランスを崩して階段から転げ落ちた・・。あっという間で、僕もしまったと思って手を差し伸べたけど間に合わなかったんだ・・・・」そういって弟は感極まったのか泣き出した。それと同時に救急車の音が近くなってきた。

救急車が到着すると俺は簡単に説明しながら、弟と一緒に救急車に乗り込んだ。救急車の中で、弟は一言も口をきかず、ずっと黙ったままだったので、俺が手短に経緯を説明する。
病院につくまでのさして長くもない距離が永遠のように感じられた。救急車に揺られながら俺は先生が以前話してくれた同級生の話を思い出していた。
状況は違えど、先生もこんな風に救急車に乗って病院へと行ったのだろうかと・・
病院に着くと、救急車から連絡が行っていたのか警察の人が待っていた。びくりとする弟に対し、その人は「大丈夫です。とりあえず、状況を聞きたいだけですから・・」といって脅える弟を別室へと連れて行った。
俺は携帯から親父に連絡を入れる。すぐにこちらに向かってくるそうだ。母親の携帯番号は知らないが多分親父から連絡するだろう。

祖母の容態が分かるまでの間、俺は病院のベンチに腰掛けると、大きく長いため息を吐いた

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