カルテ2:空(から)3

よく晴れた夏晴れの朝だった。私は定刻通りに家をでるといつも通りラッシュに湧く電車に飛び乗った。いくら込み合っているとはいえ、冷房が効いていて涼しい。朝のこの時間帯は学生も多いのだが、今は夏休み前だ。休みが始まれば、この車両も少しはましになるだろうか・・。
ガタンとカーブに差し掛かり電車がひと際大きく揺れた時、私は一人の学生に目を向けた。
何やら難しい顔をしている。つり革を握るサラリーマンらの間で揺られながら百面相しているのだ。余りにもその表情が気になって私はゆっくりと人ごみを縫ってその少女の近くへと移動する。
ーーー痴漢か・・?いやそういう雰囲気でもなさそうだ。彼女の周りにいる人達は皆片手はつり革を握っているし、片手には鞄をしっかりと握っているか、携帯メールを打っている人もいる。
もう少しと移動したところで私は彼女の百面相の理由を知った。
小柄な彼女は手を挙げる男達の丁度脇の下にすっぽりとおさまる感じで立っていたのだが、不幸にもその辺り一帯、汗とわきがの匂いが充満しているのだ。よほど体臭の濃い人がいると見える。彼女は彼らの脇の下で、匂いに堪えつつ百面相をしていたのだろう。

理由がわかって来たところで、少しラッシュがましになる。この駅で随分の人達が降りていった。彼女は小さく息をはくと避けるように場所を移動していった。
電車で通勤をしていると、毎日様々な情景に出会う。それが何ともいえず面白いのだ。

目当ての駅についと、事務所までゆっくりと歩いていく。階段を上り3階の見知った事務所の扉を開くと、既に三村君が来ていてファイルの整理をしていた。
「おはよう、三村君、今日は早いね。」
彼女はこちらを振り向いて笑う。「昨日、早く帰らせてもらいましたから・・・それに朝早めのほうが人が少なくて良いんです。」なるほど、彼女もラッシュが苦手と言う訳か。
「そうか、しかし、今日も雲一つないいいお天気だな。こりゃ、昼間は暑くなりそうだ。そうだ、昼飯に久しぶりに「福萬圓」の冷やし中華を食べに行かないか?あそこのはいけるぞ?」

三村君がおかしそうに笑う。「センセ、朝からもうお昼の話ですか?う〜ん、そうですね。でも二人一緒に事務所を空けると不味いですよ。出前を取ったらどうですか?」
「ああ、なるほど、うん、その手があったか。じゃあ、昼に冷やし中華2つ出前って事で。」私はニコニコしながら応接室件、私の仕事場でもある部屋に入って行った。
大抵昼は二人別々に取る事が多いので、今日は珍しい。今はこんなに晴れているがそのうち雨でも降り出すのではないかと空を見やったがもちろんそんな兆候はなかった。

今日の午前中はクライアントがいないので、ファイルの整理や学会の論文を読む事に集中する。そうしているとあっという間に時間が経つのだ。11時半を廻った頃に三村君が、私の部屋のドアをノックする。「センセ、そろそろお昼の中華オーダーしますよ。」
「ああ、宜しく頼む。」そういってまた私は愛用のM@Cに目を落とした。

しばらくたってから、事務所の扉がノックされる音が聞こえる。あれ・・もう来たのか。早いな。そんなことをつらつらと頭の中で考えていた矢先、三村君の声が脳裏に響いた。
「なんであなたが、ここにいるんですか?!」三村君があんな大声を出すのは珍しい。私は読みかけの論文ファイルを開いたまま、急ぎ隣の部屋の扉を開いた。

ドアを開いて唖然と立っている三村くんと、見慣れない男性が立っている。
「えっと・・・三村君・・・?その方は・・・?」私の言葉にはっとしたのか、三村君が私のそばに駆け寄ってくる。
「センセ、あの人ですよ!昨日話した香水男!」
ああ・・・あれが・・・と私はまじまじと、その男を見つめる。ストリートカジュアル系ファッションとでも言うのだろうか、一目みて質のよさそうな白いシャツと穴の開いたジーンズを着た男が立っている。やたらと胸元が開いているのは暑いからなのか、それとも仕様なのかはわからないが・・・。
男は長めの髪をかきあげながら近くまで寄ってくるとにやっと笑う。
「昨日はどうも〜。」

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