カルテ2:空(から)2

「只今、戻りました。遅くなってすみません・・。」
「ああ、三村君、お帰り・・・あれ?どうしたの、その格好?」いつもはキチンとスーツを着こなし髪も一纏めにしている彼女のスーツは所々水がついて変色しており、髪の毛も心無しかほつれている。しかもかなり機嫌も悪そうだ。

「暑いといっても・・そんなすぐには乾かなかったですね。」三村君はスーツの上着を脱いで椅子の上にかけるとふくれた顔のまま、髪留めをとった。つややかで美しい黒髪が彼女の小さな顔を縁取り一気に鮮やかな印象へと変化する。リンスの匂い・・なのかほんのりと良い匂いが私のところまで漂ってくる。
「お昼を食べに行った喫茶店で水をかけられたんです。その後は変な男に付け回されるし・・・本当にさんざんです。」

「えっ?水をかけられたって、どういう・・それにつけられた?」私は吃驚して座っていた椅子から立ち上がり三村君デスクに寄って行く。
彼女はため息をついて先ほど起った出来事を話した。

「なるほど、それで、、水に濡れてしまった訳ですか・・。それにしても最近の若者は大胆ですね。どんな感じの男性だったのですか?」私は続きを催促するように問いただす。
「センセ・・・面白がってませんか?」
「えっ・・いや、そんな事は無いですよ・・・。はは、、でも私もちょっと見たかったなって気はしますけど。」正直どういった状況下で水をかぶる事になったのか興味はある。
じろりと三村君は私を睨む。「まったく、本当にセンセは・・・。でもどんな男だったか・・・そうですねえ・・・。」三村君もなんだかんだ言って答えてくれる。

「今時の子供ですよ、大学生ぐらいの・・。ちゃらちゃらした感じで、こう、髪の毛が立ってて・・やたらと接近してくるんです。すごく強引なんですよ。それに男物の香水付け過ぎですよ、あの人!きっと水をかけた女の人も香水の匂いが臭くて消臭しようとしたのかしら・・」
「っぷ、ははははは!」三村君のジェスチャー付きの説明と天然思考につい吹き出してしまう。

「何がおかしいんですか、センセ・・・?」
「いや、、ごめん、なんでもない。三村君その二人の話は聞いてなかったのかい?」
「読書していたんです。キリのいい所まで読んで、事務所にもどろうとした時に水が飛んで来たんですよ。最低!って怒鳴ってたからよっぽど臭かったんですね〜。」

ああ、なるほど・・。三村君は一度何かに集中すると他の雑音はまったく気にならなくなるらしいのだ。天然過ぎる推理力は、精神科医としては向いていないかもしれないが、彼女のマネージメント能力には目を見張るものがある。
「で、結局彼が強引にお昼を支払って三村君の後をついて来た・・と?」
「そうです。こっちには支払ってもらう理由なんてないのに、勝手に払ってついて来たんです。腹が立つでしょう?!」

「いやあ・・でも水がかかったのは確かに彼の所為でもあるみたいだし、お昼代ぐらいは妥当なのでは・・?」
「嫌ですよ!見ず知らずの変な男に払ってもらうなんて。」今時珍しく、こういうところはかっちりしている。たまに私と一緒にお昼を食べにいって、僕が支払うといっても必ずきっちり半分支払う彼女だ、見ず知らずの男に振り回されるのは嫌なのだろう。

「まあまあ、もう二度とあう事もないでしょうし、今日は午後からのクライアントさんは少ないので早めに帰っても良いですよ。ゆっくり休んで下さい。」
なおもぶつぶつと文句言いたそうな三村君だったが、時計を確認すると慌てて仕事に取りかかった。いつもは冷静な三村君の違った様子を見れたのは楽しかったが、まさか、これが私たち二人の日常を覆すきっかけになるとはその時は思いもしなかったのだ。

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