カルテ1:縛る女21
それでも、まだ幼い頃はよかったのですが、大きくなるにつれ、女の子ですから口もよく廻って来ます。第一次反抗期と言う奴でしょうか、隆は、そういったものがまったくなかったものですから、余計に妻を苛立たせる事になったんだと思います。
女の子は口でしつけるものだと、幼い頃から咲子には厳しく言って来ました。小さな頃は活発な子でしたが、年を得るにつれ、だんだんと大人しくなっていったのを儂はずっとあれが大人になってきたからだと思っとりました。」
その後、しばらく話を聞いてわかった事は、夫である内田氏が仕事で家を空ける事が多かった事、そして妻の美津子の愛情が寂しさ故か、自分の息子である隆に一極集中してしまい、咲子はほとんどかまってもらえなかった状況にあった事、たまに家に帰る父親とはほとんど会話らしきものもなかった事、つまり咲子が家出に近い状態で出て行くまで、この家族はまったく娘とコミュニケーションを取らずに来たと言う事だ。
昔とは違い、今の社会において、家族とまともなコミュニケーションが取れていない家庭はどのくらいあるだろうか。その理由は様々だが、子供たちが大きくなってから、悔やむ親もたくさんいるだろう。こういった内田家に置けるシチュエーションはさほど珍しくもなくなってきてしまった事に日本の行く末を考える。
あらかた話しを聞いた後で、私は内田夫妻に、もう一度関係を取り戻すための覚悟と決心があるのかと問いただした。壊れたものを元に戻すのは時間がかかる。それでも続いて行くかもしれない連鎖を止める為には双方の協力が必要だ。そう、内田咲子の方にも。
三村君には、彼女に電話してもらい今日、夫妻がここを訪れている事を話してもらっている。
前回、私が内田咲子と話をした際、私は彼女の心にある憎しみを溶かす為には、まず自分が相手を許すようにと言った。もちろん彼女は即反論を返して来た。
私が被害者なのに、私をこんな風にしたのは親なのに、どうして許す必要があるの?、どうして許せるのかと。確かに、彼女がこうなった大本の原因は家庭にある。しかし、同時に彼女は立派な大人だ。自分の陥った結果をことごとく他人の所為にしていてはいつまでたっても、彼女自身が成長できない。恋人や物、アルコールなどへの執着をやめるには心の安定が必要だが、それを得る為には、まず彼女が許す心を持つ事が必要だと私は判断した。
「最初は私が言ったから、あなたがそう思わなくても、心が追いついてないと思っても、ご両親を許してください。何度も何度もあなたが許す事できっとあなたの心も軽くなっていくはずです。」最後まで難しい顔で許せないと叫んでいた彼女だったが、最後には努力してみると言って帰った。
内田夫妻には宿題を出した。100項目ぐらいに渡って、様々な質問がなされている。自分自身の事から始まって、娘の好物は何か、家族で行った思い出の旅行は?、自分の子供の事を実際にどれだけ知っているのかと同時に家族として過ごした「良い」思い出を引き出してもらうためである。
実は内田咲子の方にもまったく同じ宿題をしてもらっている。親の年齢、趣味、どんな食べ物が好きなのか、印象に残った事などだ。興味深いのは、意外に彼女は自分の両親の事を良く見ていた。ほとんどコミュニケーションを取っていなかったにも関わらず、後日封筒に入れて送られて来た内田夫妻の解答と見比べて私は感心した。
ーー質問項目53、あなたが一番嬉しかった事を書いて下さい。
成人式の時、お母さんが着付けをしてくれた事。
以前内田邸で見た、あの写真の事だろうと、内田咲子の晴れ姿を思い出す。家族がまた寄り添うきっかけになるのは、こんな小さな事かもしれない。私は静かに微笑んだ。
私は内田咲子に書いてもらった宿題アンケートを、後日来訪した内田夫妻に見せた。100項目に及ぶアンケートの解答を読んだ夫妻は涙した。
それから1週間後、私はもう一度内田邸を訪れる事になった。今度は内田咲子と一緒に。二人で長い坂道を歩く間、奇妙な感覚が私を襲う。いつか私が結婚するときも、こうやって二人で一緒に歩き、挨拶しに行く事になるんだろうか。そう考えた自分がおかしくて私は小さく吹き出した。そんな私を内田咲子が不思議そうに眺めている。少し引きつった笑顔が彼女の緊張を表していた。結納の時は都内の料亭だったというから、実家に戻るのはかなり久しぶりなのだろう。今日は兄も含めて家族全員が揃っている。