カルテ1:縛る女20

「どうぞ」と三村君が湯のみに入った日本茶と近くの商店で購入したであろう茶菓子を二人の前に置いた。今日は苦いコーヒーではないようだ。「どうも・・」と夫妻が答える。三村君が部屋から出て行くとき、ちらりと私の方を見る。私はかすかに頷いた。

内田夫妻の来訪は私にとっても少し予想外だった。そのうち、もう一度こちらから出向こうと思っていた矢先だったのだ。私は目の前に座る内田美津子のご主人を観察する。以前、居間で見た写真より老けた印象を与える。
「あらためて、初めまして。私は渡部聡と言います。」私は以前内田咲子にしたように、握手の手を差し出す。やや戸惑ったように内田氏が私の手を握り返した。
「内田雅俊です・・。今日は、その、咲子の事について色々とお話を伺いたいと思い、足を運んだ次第です。」
それはそうだろう。内田氏は○○重工の重役として働いていると聞いている。平日の昼日中にここを訪れたということは、もちろん仕事を休んで来たということになる。

「こちらにおいで下さったと言う事はーー奥様と咲子さんの事についてお話なされたのですね?」

「う、うむ・・・。」内田氏が頷く。
「そうですか。私は一度ご家族全員で、話し合って頂きたいと思っているのです。今の家族関係のままであれば、現在はよくともそう遠くない将来に咲子さんはダメになってしまいますから・・。」
「しかし、話すといっても、なにを話して良いのか・・・。」
「内田さん、失礼ですが、お嬢さんと最後にまともな会話をされたのはいつですか?いつ、どこで、どういった話をされたか、覚えていらっしゃいますか?奥様もです。思い出して下さい。彼女といったいどんな事をお話になられました?」

はっとしたように内田氏は考え込んだ。婦人もご主人に寄り添って、不安げな顔をしている。この二人・・夫婦仲はそう悪そうには見えないが・・どうなのだろうか。
言いずらそうに内田氏が口を開く。「最後に・・話をしたのは、咲子が家を出て行く前の日だ。」私は少し驚いたようにいう。「それは、随分と昔の話ですね。いったい何年前の話ですか?」
「・・・咲子が大学に入る頃だった。いきなり家を出て行くと言い出して、儂は・・・いったい何の不満があるのだと怒鳴りつけた。だが、あいつは目に涙を浮かべてはいたが、お父さんには分からないとヒステリックに叫びよって、言い合いになった。儂は・・・あいつの将来の事も考えて、家から通えと言ったのだが、、」

「待って下さい、なぜ咲子さんの将来を考えて、家から通うようにと言われたのです?」
「それは・・、今は違って来ているかもしれんが、昔は女子が一人暮らしをしているというと、男を引き込む為だとか、あばずれだと言われたもんだ。儂らは咲子を生まれた時から厳しく育ててきたのだ、あの娘をそんなふしだらに言われたくはない・・と思った。」

「なるほど・・その理由は咲子さんに話されましたか?」
「いや、結局儂も頭に血が上ってかーっとなり、あいつも嫌そうな顔ですぐに部屋に引きこもりおったから・・な。」
「奥様はその時、どうなされていたのです?」今度は内田美津子に聞いて見る。
「・・・何も、しておりませんでした。」
「つまり、咲子さんに対して何もフォローをしなかったのですね?ご主人がお怒りになられた理由をあなたは知っていた訳ですよね。娘さんに、ご主人がお怒りになられた理由を話そうとは思わなかったのでしょうか?」

「・・・・私は、、。」

「先生、妻を責めんで頂きたい。こいつには昔から、子育てを一任して任せて来ました。儂の仕事が忙しかった事もあるが、儂は、こいつが育児ノイローゼになった事も知っておったが、何も口を挟めんかった。確かに咲子は隆と比べて扱いずらい子でした。隆は幼い頃からはしこくて、一をいえば壱拾を知る様な子でした。初めて出来た息子が出来の良い子で、儂も美津子も鼻が高かったものです。それから暫くして、咲子が生まれました。

赤子の頃はとても可愛かった。愛想も良くて儂の手をこうしてよく握っておった・・・。咲子が1歳ぐらいになる頃だったか、ちょっとづつ美津子の様子がおかしいのに気がつきました。いわゆる育児ノイローゼと言うやつでしょう。隆も大きくなったとはいえ、まだまだ手のかかる年で、その頃から儂の仕事も忙しくなり、結局のところ、全てを美津子に任せっぱなしでした。

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