カルテ1:縛る女19

私はなおも続けて彼女に問う。「あなたは一度でも彼女の立場に立って考えた事がありますか?咲子さんの事を難しい、扱いにくい子供だったとおっしゃいましたね?同じ腹から生まれても子供は一人一人違うんです。それを少し自分の意に添わない子だったから扱いにくいと言うならば、それはあなたの傲慢です。それに、それは本当に反抗だったのですか?彼女はあなた方にもっと自分自身を見てもらいたいと足掻いていたのではなかったのでしょうか・・。犬や猫でも主人からの愛情を得られなければ信頼関係は崩壊し、弱って行きます。家族なら尚の事もっとお互いに歩みよるべきではないのですか?」

内田美津子はぐっと言葉に詰まる。「・・・私どもの育て方が悪かったと仰りたいのですか?」

「はっきりと言わせてもらえば、育て方、というよりも偏った愛情が今の彼女を作り出したと言う事です。細かく言えば、もっと色々とありますが・・一つ、お聞きしたい、あなたはご自分の娘さんの事を本当に愛していらっしゃるんですか?」

内田美津子はじっと下を見つめたまま何も答えなかった。彼女なりに何か考えているのかもしれないが、自分の生んだ娘を愛していると即答出来ない母親の姿に私は多少なりとも失望を覚えた。もし、息子の事を聞いたのなら彼女はどう答えただろうか?
しばらくの後、重い沈黙を破って彼女が口を開いた。「私は・・・あの娘の事を疎ましいと思った事はありません。それが答えにはなりませんか・・・?私は私なりにあの子の為を思ってやってきたのです。」

今の言葉を内田咲子が聞いたら何と思うだろうか。だが内田美津子の言葉に嘘は感じられなかった。しかしだからといってこのままでは、何も変わらない。両親にも、まずは意識改革をしてもらわなければならない。最初は幾つかの課題を与えて、夫婦でよく話し合ってもらおう。まずはそれからだ。幾つかの事を頭に浮かべる。一度崩れた関係を修復するには時間がかかる。もう一度お互いにお互いを受け入れる準備をしなければならない。

私はもう一度彼女に念を押した。言葉を飾らず言いたい事をはっきりと伝える。
「いいですか、内田さん。死んでから、後悔するのであれば意味がないです。あなたの娘さんの精神は随分とぼろぼろになっています。今までに起こした自殺未遂が、未遂ですんだ事を喜ぶべきですね。もし本当に彼女が死んでいたら、殺したのはあなた方の様なものです。
もちろん、あなたが仰る様な厳しさやしつけも子供にとって必要不可欠なものです。それがなければ、とんだ大馬鹿ものになるでしょうからね。しかし、それも愛情があってこそのものです。
もっと彼女を知ろうとして下さい。彼女が何を考え、本当は心から何を求めていたのかを。

まずは、ご主人ともしっかり話し合って下さい。家の格式や、外聞、恥など人の命に比べたら何になりますか?あの状態の娘をほっておく事のできるあなた方のほうがよっぽど恥ですよ。」

内田美津子は急におろおろと自信をなくしたように私に問いかける。「あの、、、娘は、、咲子はそんなに酷い状態なのですか?」

実際はカウンセリングを初めて少し落ち着いて来たが、まだ根本の解決には至っていないので幾らでも繰り返す恐れがある。私はその事を彼女に伝え、とりあえず、まずは夫婦で話し合うようにと繰り返した。父親のほうの価値観も、内田美津子を見ていると大体把握できる。だが、彼もまた、娘を愛しているのだと思いたい。
時計の時間を見ると、私は冷めた紅茶を一気に飲み干し、内田美津子に礼を言う。私は彼らが恐れずにこの問題に取りかかってくれる事を望みつつ、家を後にした。

残された内田美津子はふらりとリビングの応接室に戻ってくると、手つかずのままのケーキにフォークを突き刺した。何度も何度も・・・。そうしてぼろぼろになったケーキを眺めて声にならない嗚咽を漏らした。

そして3日後、内田夫婦は私の事務所を訪れた。

 

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