カルテ1:縛る女18

本橋さんと、内田さんのカウンセリングを別々に初めて1週間が経った。
私は内田咲子の実家を訪れた。彼女がこういった状況になった原因は少なからず家庭にある。一度両親にも話を聞いてみなければならない。事前に彼女の母親には来訪する旨伝えてもらって、私は彼女が生まれ育った町へと訪れた。都内出身の彼女の実家はそう遠くはない。
初めて降りた駅で地図を片手に歩いて行く。強い日差しの中、新緑がきらきらと輝いて美しい。内田咲子の実家は閑静な住宅地の中にあった。ゆるやかな坂を上りきると、一軒の家へたどり着いた。なかなか立派な門構えだ。大理石に『内田』と掘られた表札がかかっている。こじんまりしているがよく手入れの行き届いた庭を観察しながら私はインターフォンを押した。
「・・・どちら様でしょうか?」
「○○クリニックの渡部と申します。内田咲子さんからお聞きしていると存じますが・・」
「少々お待ち下さい。今参ります。」暫くすると玄関から薄手のカーディガンを羽織った線の細みの女性が出てきて、門を開いた。50歳半ば・・いや60歳手前と言ったとこか。彼女が内田さんの母親だろうか。目元が少し彼女に似ている様な気がする。
彼女の後をついて、玄関に上がると、スリッパを出してくれる。こちらへどうぞ・・と応接間へ通された。内田さんから私の事をどのように聞いているのだろうかと考える。

「お紅茶で宜しいかしら?」と女性が聞いてきた。
「あ、いえ、おかまいなく・・。あの、内田咲子さんのお母様ですよね?」と私は尋ねた。
やや間を置いて彼女が答えた。「ええ、そうです。内田美津子と申します。」そういって彼女少し頭を下げると応接間を出ていった。戻ってくるまでの間、私は応接間を見渡す。綺麗に整理整頓してある棚の上には幾つものトロフィーに賞状、また写真が飾られてある。成人式の時の物だろうか、内田咲子が映っている写真が一枚と、他は全て兄らしき男性の物だ。一枚だけ家族4人で映っている写真があった。口元をきりっと引き締めた彼女の父親らしき男性と着物を着た内田美津子、そして二人の子供。外国でよく見かける家族写真とは違い、何か重苦しい雰囲気を醸し出している。特に無表情な内田咲子の目が印象的だった。

すでに用意してあったのであろう、紅茶とケーキを持ってくるとカチャリと私の前に置いた。
「すいません、本当にお気使いなく・・。」そういって私は革張りのカウチに腰を据えた内田美津子に目線をあわせた。
だが、彼女の方は私から目線を反らせたまま、おずおずと切り出した。「咲子から・・カウンセリングを受けていると聞きましたが、、どういった経緯であの子はクリニックに通う事になったのでしょうか・・。」
「お母様には、心当たりはありませんか・・?」努めて穏やかに私は問う。
「・・・以前に一度手首を切って自殺未遂を起こした事がありましたけど・・あの子は昔からよく分からない子供だったんです。本当に難しい子で何が気に入らないのか・・いつも反抗的な態度で、私も主人も手を焼いてましたのよ。」

「ほう、そうなんですか?それはいつ頃から?」
「さあ・・どうだったかしら、、そう言えばあまり記憶にないわね。でも高校生になる頃には既に扱いづらくなっていたと思いますわ。いつもお兄ちゃんに難癖つけて・・・」
「そういえば、お兄さんがいらっしゃるそうですね。どんな息子さんなんですか?」
途端に彼女は見るからに機嫌良く話し始める。「ええもう、本当に良い子なんですのよ。今年32歳になるんですけど、一流証券会社に努めてまして、将来も有望だって皆様からいつも褒めて頂いてますの、それに・・・。」長くなりそうな、彼女の話をうまく切り替えて、重ねて問う。
「咲子さんも、ご立派な会社に勤めていらっしゃいますよね。キャリアを積んで来られたみたいですし・・結婚なさったらお辞めになるそうですが・・。」

「ああ、咲子もお兄ちゃんに張り合うみたいに女だてら家をでて仕事していたみたいだけど、結局結婚して辞めるなら最初からやらなければ良かったのよ。」
「いえ・・ご立派だと思いますが・・。」
「そうですか?先生はお若いからご存知ではないかとは思いますが、私どもの若い時分には女は家の肥やしと言われてまいりました・・。娘は嫁にでていってしまえば他家の物ですから。」

「・・・それは娘さんを粗末に扱って良いという理由にはなりませんよ?」
内田美津子はキッと私を睨みつけた。
「失礼な事を仰らないで下さい。私たちがあの子にどれだけお金をかけたと思うんですか?幼い頃より、しつけはもちろん、様々な習い事だってさせてましたし、あの子が良い結婚相手に巡り会えたのも、私たちの努力があってこそですのよ?」

「お金さえ与えておけば、他はどうでも良い・・とそう仰っているのですか?幾らお金を与えて教育を受けさせようと、そこに愛情がなければ意味がありません。子供はあなたの所有物ではないんですよ?ちゃんと意思をもってるんです。なるほど、あなたの話をお聞きする限り、彼女がこの家でどんな思いをされてきたのかが分かりますね。」
日本の旧家や田舎には多いのだが、いわゆる男尊女卑、自分達ではそう思っていないところがまたタチが悪いのだが、必要以上に息子を溺愛し女子を卑下する風習はこの現代社会においてまだまだ根深く息づいている。跡継ぎを生まないといけないとプレッシャーを感じる女性や息子を溺愛するあまり、マザコンを作り出す女性も多い。

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