カルテ1:縛る女14

朝、私はいつも通り7時に目覚めると大きなあくびをしながらキッチンへ行って、コーヒーメーカーのスイッチを押す。朝食はなくとも朝一杯のコーヒーは欠かせない。
眠い目をこすりつつ、洗面所へ向かい、軽くシャワーを浴びた。テーブルに座って朝刊を広げ、コーヒーを一口飲む。香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。

一通りニュース欄に目を通すと昨日・・(厳密には今日だが)の出来事に思いを巡らす。
さて・・どうしたものかな。もともとの依頼は内田咲子からのもので、内容は、付きまとう元彼をどうにかしてもらいたいと言う事だった。最初は自分の専門からは多少ずれていると思い、断ろうかとも思ったのだが、実際に彼女に会って話をしている内、職業上の感とでもいうのだろうか、どうもひっかかりを覚えて仕方がなかったのだが、やはり的中してしまった。
彼女の依頼自体を遂行するならば、本橋とあって幾度かカウンセリングを施していけば、まだ完全に共依存に陥っていない彼ならもう一度ちゃんとした元の生活に戻れるはずだ。そういう意味であれば、依頼自体はそう遠くなく解決するだろう。

しかし問題は彼女・・・依頼主の話は100%信用しない、もといできないこともあるといった経験上の事であるが、何かしら問題が発生している場合、一方だけの主張、言い訳を聞くのではなく、相手側にも事情聴取をする事が多い。人間関係の問題はそれが誤解にしろ、必ずどちらにも何かしら問題があるものだ。

色々なピースを集めて行くと思わぬ現実に到達することは珍しい事ではない。このまま、上手く本橋さんが綺麗さっぱり彼女から手を引けば、彼女はどうするだろうか?暫くは大丈夫かもしれない。うまく新しい男を手玉にとってやっていくだろう。何か問題が起らない限りには・・。
私は洋服を着替えて、もう一度歯を磨くとアパートを出て駅に向かった。駅までは、徒歩7分ほど、そこから電車で、30分、事務所はそこからさらに歩いて10分だ。
アメリカにいた頃は車での通勤だった。自然運動量が減るので、その頃借りていたアパートの筋トレルームで毎日朝晩45分の運動をこなしていた。

改札口をでると前方に見知った姿をみとめる。三村君だった。私は早足で彼女の側まで追いつくと彼女に声をかけた。「三村君!」
ゆっくりと振り返った彼女は上下グレーのスーツに身を包み、後ろで髪をひとまとめに括っている。地味で隙のない装いだがそれでも何故か彼女にはしっくりきている。
「おはようございます。センセ。」少し立ち止まって軽く会釈をすると、またすたすたと歩き出した。相変わらずカツン、カツンとヒールの音を響かせて歩いている。私も彼女の歩幅に合わせて一緒に歩き出す。
私は歩きながら今朝方の事を彼女に簡単に説明した。
「そうでしたか・・。それでセンセはどうなさるおつもりなんですか?」三村君が聞いてくる。
「本橋さんの方は、ちゃんと依頼通り、このままカウンセリングを続けていこうと思ってるよ。彼は本当のところ被害者だからね・・。今の内にちゃんとしておいてあげないと可哀想だ。だが、問題はクライアントだな。これからどう出てくるか・・・それによって対応を考えるよ。」

「そうですね。今のところ、それがベストだと私も思います。」事務所へつくと鍵を開け中に入る。毎朝、私と三村君はその日やるべき事や、新規クライアント、そして現在関わっているクライアントについてなど必要な事を話し合う。
「じゃあ、今日直接会うのは、この4名だね。他に何か変わった事は?」
「今のところ、特にありません。こちらの新規クライアントのファイルに目を通しておいてください。」三村君が、何冊かのファイルを私に手渡した。事前に電話でクライアントと話した内容と彼女が簡単にバックグラウンド調査をした事柄などがファイリングされている。
「分かった、じゃあ、しばらく一人にしてくれ。」そういうと私は奥へ続くドアへと歩いて行った。

 

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