カルテ1:縛る女10

まず最初に私は彼女に尋ねた。
「あなたの義理の父に、今まで何らかの感謝の意を示した、もしくは告げた事はありますか?」
少し考えて彼女は答えた。「あまり無かったと思うわ・・・。なんて言って良いかわからないし、それに今更そんな事・・照れくさいわよ。大体父さん達だって、きっと私の事なんて忘れてるわよ。血の繋がりもない娘の事なんて・・・もう家を出てから7年間・・一度も連絡してないのよ?」
「何かひとつでも良いですから、あなたがお義父さんに対して感謝している事を、伝えてみませんか?口で言うのが恥ずかしかったら手紙やポストカードでも良いです。どうです?」

「う・・ん・・わかったわ、でも期待しないで?」私は渋る彼女を勇気づけると、彼女は一度家に連絡を入れてみると言って帰って行った。

それから2週間後、彼女はオフィスに入ってくるなり興奮して私に告げた。「父から返事が来たわ、いつも私がどうしているか心配しているって。今度他の兄妹達も一緒に里帰りして父の誕生日を祝う事になったの!テキサスに帰る前にアーカンサスの義妹の家によって誕生日プレゼントを一緒に選ぶのよ。」彼女は十代の少女のようにとても嬉しそうだった。

それからまた頃合いを見計らって私は新たなアドバイスを彼女に与えた。彼女に必要な事は、まず家族関係の修復から・・・血の繋がりがあろうと無かろうと、彼女にとっての家族は彼らなのだ。以前より家族とコミュニケーションを取るようになった彼女は少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。以前ほど派手に色んな男と交遊する事がなくなり、昼間仕事をしながら、夜間の大学にも通い始めた。
「最近、調子良さそうですね、ミッドフォードさん、何か変わった事はありましたか?」
「そうね、なんだか最近良い事ばかり続いて嘘みたいなの。以前喧嘩別れしたボーイフレンドのジェイムズと仲直りしてまた付き合い出したのよ、それに私仕事先でマネージャーを任されたの。最近の私の仕事ぶりがとても良いからって。」

家族からの愛情をもう一度確認し、受け止めた彼女は以前よりも表情が生き生きとしてよく笑うようになった。自分を受け入れてくれる存在を得た安心感により、ゆとりが生まれてきたのだろう。人間が変わるきっかけは何だろうか・・?どんな人生を歩んで来た人でも、些細なきっかけ一つで変わって行く事ができる。人とはそんな可能性を秘めたものなのだ。

「では、ミッドフォードさん、次はあなたの周りにいる人達に対しても今度は出来るだけ、感謝の言葉を繰り返し語ってみて下さい。どんな小さな事でも構いません。家族だけでなく、笑顔であなたのパートナー、仕事の同僚、そして近所の人達にも挨拶して下さい。」

ミス ミッドフォードはおかしそうに笑いながら私に言った。「あなたって本当に、おかしい事ばかり言うのね。でも私、あなたを信頼しているわ、ドクター・トシ、あなたがそう言うならやってみるわ。」

彼女の素晴らしいところは、私の言葉を素直に受け入れ行動に移した事だ。よくクリニックを訪れる人達の約半分は、医者のアドバイスを聞かず、自分勝手に解釈し、自分に都合の良い事や、したい事だけを聞くものが多い。特にインテリジェンス層の人間はプライドや見栄などが邪魔をして余計にその傾向が強い。ミス ミッドフォードは最初は渋々ながら、私のアドバイスや話をよく聞き、それを着実に行動に移して行った。

半年間のクリニック通いが終わる頃には、彼女は見違えるようになっていた。今までに見られた心身の不安定さはなりを潜め、代わりによく笑い、人を思いやる事のできる性質へと変わっていったのだ。彼女に必要だったのは、鬱病の薬などではなく、無条件の愛情とその確信。それに共なう安らぎ、安心感。そしてそれらを得るためには、彼女自身が自分の中にある空虚に気付いて、そこから一歩を踏み出す事些細な事でも周りにある事に感謝し、彼女自身が変わっていったからこそ、今ある状況にたどり付けたのだ。

私はファイルから目を離し、しばしの間目をつぶっていた。アダルトチルドレンと一口にいっても、それは人によってもちろん似ている症状は多くあれども簡単に克服出来る問題ではない。一番厄介なのは、クライアント自身が気付かなければならないのだが、それが一番難しい。例え、そうだと認めたところで、自分のせいではないと責任転嫁したり、現実から目を背けようとすれば、根本的な解決にはならない。私自身、多くの症例を見てきたが、自分の中にある弱さや屈折した感情をまず理解し、前向きに治そうとする姿勢がなければ難しい・・彼女、内田咲子はどうだろうか・・?

 

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