82話:風7

イルディアスは目前に悠然と身体を横たえる竜を見て唾を飲み込んだ。でかい・・・今まで伝説やお伽噺でしか聞いた事の無い竜の姿に圧倒される。国の内情を知るために放っていた男が消息を絶ってから、オーセからもまったく音沙汰が無くなってしまった。
これは出来るだけ早く計画を進めた方が良いと考え、実行に移した訳だが、思っていたよりも竜を手に入れるのは簡単で拍子抜けしたぐらいだ。

この竜にはこれからユフテスではなく、混乱の続くグランディス、ひいてはまだ幼い皇帝の為に他国への威嚇と同時に国を守ってもらわねばならない。竜は知能が高く、その知恵と魔力の恩恵を受けて、ユフテスの様な古いだけの小王国が今まで生き残って来たのだ。
だがこれからは・・・竜を見つめ拳を固く握りしめたその時、静かに竜の目が開かれた。
混じりけのない美しい宝石の様な深紅の瞳がイルディアスを捕える。と同時に頭の中に声ともつかぬ威厳のある念波が響いた。
ーーー其方、ユフテスの血を引くものではないな・・・。我に何用だ?

これが竜族の使う念波というものか・・・文献で知ってはいたが実際に己が念を受けるとは思いもしなかった。しかし、グランディスが遥か北に細々と暮らしていた竜と関わりを持っていたと言われる民族から得た文献によると竜は人型をとる事もあると書かれていたが・・・。
様々な事を頭に思いめぐらしながらイルディアスはゆっくりと口を開いた。
「・・・初めてお目にかかる。私は、グランディスの将軍を務めるイルディアスという者だ。こうして、伝説の竜に出会えた事を心より光栄に思う。」そういって目の前の竜に頭を下げる。
ーーーグランディス、聞いた事が無いな・・。それは我が一時の間眠っている間に出来た国なのか?しかし人の子よ、何故我を王都からつれだしたのか答えよ。

ここが王都ではないと分かっているのか・・・弱っていると聞いていた竜だが、眼差しだけで圧倒されそうになる。だが、意を決して問いかける。
「竜よ、あなたのお名前をお聞かせ願いたい。」
ーーー我の名は我そのもの、契約の時にその名を渡して以来、我の名は契約した民の物となった。其方は我と契約したユフテスの血を引いておらぬ故我の名を知る事はできない。
「では貴方と新たにその契約とやらを結ぶ為にはどうすれば良いのです?ユフテスではどうやら人の生け贄も用意されていたようですが、こちらも生け贄を用意すれば私たちの皇帝とも契約を結んでもらえるのでしょうか?」

ーーー我との契約、それが我を王都から連れ出した理由か?
「そうです。貴方には、是非、ユフテスではなく、私たちの皇帝と契約を結んで頂きたい。その契約というのが、貴方が古来よりずっとユフテスを他の国の侵略や災害から守り続けて来た事実に由来する事なのでしょう?」

ーーーそうとも言えるし、違うとも言える。お前達が我と契約を結ぶというのは無理だ。其方らは我の真名を知らぬ、それに・・・我の命はあと少しで燃え尽きようとしている。
「だが・・それはあなたが生け贄を喰らえばまた生きながらえるのではないのか?」
ーーー生け贄か・・・。例えばお前を喰らってか?
「・・・それで我がグランディスの皇帝を守って頂けるのであれば喜んでこの身を差し出しましょう・・。」
ーーー・・・・なぜそこまでして我の守護を望む?
「グランディスは、貴方が知らないと仰られた通り、比較的古い国々が集まるこのウリムナ大陸の中でも新参の国です。近隣の国々を併合し、大きくはなりましたが、国内外からいつも暗殺や毒殺、また戦争の危機にあり、今この不安定な国を治めて行くには幼い皇帝では荷が重すぎる。
伝説の竜・・・子供の時に祖母から幾度となく聞かされたお伽噺だと思っていましたが、幸運にも我々は貴方の存在を知ったのです。どうか、ユフテスではなく、我らの国を守護してはもらえないだろうか?」

ーーーそれは無理だ。元々我がユフテスを守護する事になったのは理由あっての事、それにお前を100人や200人喰らおうが我の飢餓が満たされる事はない。それにユフテスの始祖の血を引くものは我と約束をした。我をこの地と血の契約から解き放つと・・・。
(それに、目覚めてからずっとかすかに懐かしい気を感じている。懐かしい・・・我の同胞、永きに渡り地上で薄汚くも生き、約束を果たせなかった我を憎んでいるだろう。最後はあれに見とられ、風となって散るのも悪くはない。」

ぎりっとイルディアスは唇を噛み締めた。ユフテスが竜を解放する?そんな訳はあるまい。現に
ユフテスには竜のための生け贄が存在するというではないか・・・。そういえばその者は元は王家に生まれたものだったらしいな・・平民ではなく、わざわざ王子を生け贄とする事に何か意味があるのだろうか・・・。しばらく考えた後、イルディアスは顔を上げ、竜に言った。
「もうしばらく、あなたにはここで眠っておいていただきたい。ここは強力な魔力の地場で組まれた場所、逃げるのは不可能ですから・・・」イルディアスはさっと踵を返し、その場から立ち去った。兵らが気付いて頭を下げる。

出て行った男を見送りながらアルファスはゆっくりと静かに息を吐いた。
いつの時代にあっても、人間は変わらぬ・・・。だが・・・風は動き出したようだ。」

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