1話:記憶〜序章〜
「姫様、姫様〜・・・まったく・・いったいどこへ行かれたのかしら。あんなに国を出る前に他の国ではお行儀良くと言っておいた筈なのに・・」
アステール帝国筆頭召使いで、リディアーナ王女の教育係でもあるマリアベルは小さくため息をつくと、他の召使いに指示を出す。
「とりあえず、かたっぱしから気がついた所をしらみつぶしに探してちょうだい!分かっているとは思うけど、手を抜いてはだめよ?隙を見せたら見つかっても逃げられてしまうわ。」
「はい、では私たちも探して参ります。」
そう言うと10名ほどの召使いは、小走りにばらばらに散っていった。アステール帝国の王が、友好の為にと訪れた東の大陸の古王国、ユフテスに到着して3日目、やはり危惧していた通り、おてんば姫の忍耐の緒は切れ飛んでいったらしい。
長旅だった事もあってさすがに疲れたのか、初日と二日目の歓迎会では大人しくしていたが、今年8つになる幼姫はともかく元気がよく、好奇心旺盛で目を離すとあっという間に姿をくらませてしまうのだ。
国であるならばまだしも(大体姫の隠れそうな所は予測してある)、知らない土地で姫に何かあれば取り返しがつかない。ともかく一刻も早く姫を見つけるのが先決だ。マリアベルはもう一度、小さくため息をつくと、先ほど通った道と反対方向に向かって走り出した。
「は〜、、やばかった。マリアベルったら、本当にしつこいんだから・・」
ぶちぶちと文句を言いながらマリアベルが立っていた場所からさほど離れていない茂みの中から、小さな少女が顔を出した。幼いといっても、その黒曜石の様な黒い瞳は力強く生命に満ちあふれ、理知的な様子が伺える。緑黒の髪は太陽の光を受けてラピスラズリの様な深く神秘的な色に輝いている。人形の様に整った顔も、くるくると表情の変わるその表情と仕草で、親しみの持てる雰囲気に包まれている。あと数年も経てば、各国から求婚が殺到するに違いないと誰もが思うだろう。
「もう、ちゃんと言われた通り、御挨拶だってしたし・・せっかくこんな遠い国まで来たんだもの。もっと息抜きしたいよ。それにお城から見えたあの塔の事、とっても気になるんだもの。きっと明日からまたお勉強だのなんだの言われるのは分かってるんだから、ちょっとぐらい良いよね。」少女は慎重に回りを見回し、誰もいないのを確認すると、小走りに目的地と走りさった。
どれくらい走っただろうか・・さすがに疲れて来た。城のメイド達が探す中、その目をすり抜けてここまでやって来たのだ。目的の塔はもう目前にあった。
「高い・・・」石を積み上げて出来たらしいその塔は、離れたユフテスの王城からもよく見えた。父王に、何故あんな所に高い塔が建っているのか訪ねてみたが、言葉を濁されて、その後歓迎会やなんやらで聞けずじまいだったのだ。
正面には見張りだろうか、、剣をもった兵士が立っている。少女はゆっくりと音を立てない様に森の木々の間を抜け、塔の裏側へと歩いていった。
「どこかから、入れる所無いかな・・・」小さくつぶやきながら石を触っていると、一カ所、石の隙間が開いて、中に階段があるのが見えた。「ここからなら入れるかもしれない・・」そこは一見どうみても人がくぐれる様な隙間には見えないのだが、王女は脱走の際、自分の頭さえ入れば、体も抜け出せる事を身を持って知っていた。特に体が柔らかく、小柄な王女は迷う事無く、隙間に頭を突っ込んで少しずつその体を塔の中へと侵入させていった。