カルテ2:空(から)25

ーー先生、お昼時間空いてますか?お話があるんです。ーーー
そう和田さんから電話がかかって来て私は彼と共にこ洒落たイタリアンレストランに来ている。
「どうぞ、先生、何でも頼んで下さい。ここは俺のおごりですから・・・。」
何故かこの時、私の脳裏に無料(ただ)ほど怖い物はないという格言が思い浮かんだが、咄嗟にそれを振り払い、オーダーを済ませると、彼の様子を観察する。
何があったのか、先日あったときと様子が変わった気がする。様子が変わったといっても服装や外見の話ではない、なんというか雰囲気が違うのだ。

「それで、今日はいったいどうしたんですか?」私はゆっくりと尋ねる。
彼は先日私と別れた後に起った驚愕の話を聞かせてくれた。まさか、この短い間にそんな事が起っていたとは夢にも思わなかった。
「それは・・・、本当に大変でしたね。おばあさんの様子はどうなんですか?」
「ああ、暫くはまだ大事を取って入院しているけど、そのうち退院出来ると思う。弟や家族との関係も随分以前とは違った感じになって来たしな。」
それにしても、彼はこの事を話す為だけに私を呼び出したのだろうか・・何かまだ言いたい事のありそうな・・いやまだ言いだしていない事がある様な感じがする。そう思って顔を上げた時、彼のにやっと笑う表情が目に入った。食べていたラザニアをぐっと飲み込んでしまう。慌てて水を飲んで一息つくと、珍しく控えめな彼のテノールが耳に入って来た。

「先生・・、俺お願いがあるんですけど。」
「・・・どんな事ですか?」なんだか嫌な予感がする。
「俺を、事務所で雇ってもらえませんか?雑用でもなんでもしますから!」
暫くの間私は間抜けな顔をしていただろう。「ええと・・・和田さん・・冗談ですよね?」
「まさか・・。先生、以前言いましたよね? 俺が目的や生き甲斐を見つける為の手伝いをするって。俺、先生のところにいたら、何か見つけられるような気がするんですよ。それに心理カウンセリングって仕事にも興味があるんです。」
「だが、うちは、もう一人雇う程余裕が無いのですが・・・」ただでさえ、いつも三村君に怒られている始末だ。
「じゃあ、ただ働きでもいいです。別に金には困ってないですから。」
「いや、でも仕事といっても・・」
「だから、なんでもやります。雑用でも肩揉みでも!」
先生は俺をじっと見つめ暫く考えているようだったが、ゆっくりと息をはくと言った。
「・・・わかりました。一応三村君にも相談してみマスが、彼女が何と言うか・・。今晩、また電話をかけなおします。」

事務所への道をたどりながら私は考えていた。やはりただほど恐ろしいものはない。さて、この事をどうやって三村君に切り出すか・・・。そう考えながら事務所に辿り着き、おそるおそる三村君に話したところ、思ってもみなかった反応が帰って来た。
「いいですよ。」
「本当に・・・?」
「ええ、だって無料(ただ)なんですよね?」
「いや、まあ、確かにそう言いましたが、さすがにそれでは不味いでしょう?」
「それじゃあ、これでどうです?」と彼女は電卓を叩いて私に見せる。
「時給500円ですか・・?」
「無いよりはましでしょう?それに彼は別にお金に困っている訳ではないでしょうし。」
「わかりました。今晩電話をしてみます。」
「はい。よろしくです。あ、そうそう、センセ、彼何でもしてくれるですよね・・一応?」
「え、ええ・・・」
三村君はにっこりと笑って言った。「そうですか。本当に助かります。本当はもう少し人手が欲しいとは思ってたんです。センセは最初は良いんですが、半分はほとんどボランディア活動になってしまって毎月黒字になる方が珍しいですからね・・。」
「・・・すみません・・・。」
「いいえ。でも、先生、彼のカウンセリングはまだ済んでないんですよね?」
「ああ、はい。これからこの事務所に通いつつも、カウンセリングはしばらく続ける事になってます。」
「わかりました。では、彼ができそうな仕事をいくつか用意しておきます。」そういって、もう一度三村君は私に微笑んだ。本当に意外だ・・・。
その微笑みがいったい何を意味するのかは、その晩連絡を受けた和田本人が後々、身を持って知る事となる。こうして、私の事務所に、新しい事務/何でも屋が誕生したのだ。

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