カルテ2:空(から)15

「・・・ってもどうすればいい訳?」
「そうですねえ、よく、幼稚園や小学校の低学年で、将来大きくなったら何になりたい?っていうような質問ありませんでしたか?和田さん、小さな頃は、何か夢がありましたか?」

「ああ、確かにあったなあ・・そんなの。でも俺の場合、物心ついた時からばあちゃんや母親にお前は将来父親の跡を継いで医者になるんだって、そればっかり言われてたからな・・他の事は考えなかった。たしかお医者さんになるとかって答えてたと思うぜ。」

「なるほど、つまり幼い頃からもう既に医者になる為のレールを敷かれていたという事ですか・・。」大きな会社や個人病院ではありがちな事だ。子供の為だと表向き理由をつけたとしてもそれは結局自分達の自己満足でしかない。子供に選択を与えないようにコントロールして育てて来た訳だ。

「で、小さい頃は本当に医者になりたかったのですか?」私は重ねて問う。
「ん〜、どうだったかな・・・。そんな事も考えもしなかったかも。ただ漠然とああ、自分は医者になるんだって思ってたぐらいで。」和田はじっと考える様子だ。

「本当に幼い頃からマインドコントロールされていたのですね・・・今更言っても仕方ないですが、今の貴方の性格を形作った一因はそこにもありますね。もう少し色々と考えてみましょう。」

「ご両親と、あと祖母と住んでいると言ってましたね?仲はどうなんですか?夫婦仲や祖母との関係は良好ですか?」
「夫婦仲はどうなんだろうな?昔はしらねーけど、親父も忙しくて外に女なんか囲ってる暇ねーだろうし・・、おふくろもほとんど家にいないしな。ばあちゃんは・・俺や弟には良いけど、おふくろとの仲は最悪だな。まあでも嫁、姑なんてそんなもんじゃねーの?家だけに限った事じゃねーだろうし・・。俺らの目の前でもよく昔から喧嘩してたからな。」
「おばあさんはまだお元気なんですか?」
「じー様は俺らが生まれる前に死んだらしいけど、ばあちゃんは元気だぜ。ありゃ、まだまだくたばりそうにないな。おふくろには残念だろうけどさ。」
私は少し眉をひそめながら彼の話を聞いていた。話を聞く限り、和田さんが幼い頃からいつも家庭の中で争いがあったであろう事が伺える。

「そうですか。家庭内のいざこざを目のあたりにして、どんな感情がありましたか?例えば、悲しい、腹立たしいなどといった感情はありました?」
和田は暫くうつむいて考えていたが、静かに話し出す。「確かに・・・小さい頃はそういうのを見てるのが嫌だったかな・・。でもそのうちそういうのがうざいって思う様になって来て・・それから・・・何も感じなくなった・・・。」一瞬和田自身、自分の言葉に驚いたように息を飲む。(そうだ、俺はいつからあの日常の風景を見て何も感じなくなったのだろう・・)

私は、そんな和田さんの様子を見ながら、ゆっくりと話し出す。「きっと、子供心に両親と祖母のいざこざなどを見ているのが辛かったのではないですか?そういうものを見たくない、聞きたくないと思っている間に、貴方は感情をシャットアウトして行く・・・何も感じなくなれば辛くないですから・・・?」
しばらくの間黙り込んでいた和田がもう一度口を開いた。
「・・・わからない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない・・・。」

私は彼にコーヒーを勧めながら、少しブレイクを置く事にする。一口、コーヒーを口に含んだ和田は思いっきり不味そうに顔をしかめた。
「何コレ・・・。苦いにもほどがあるだろ。」
「三村君が入れてくれるコーヒーはいつもアメリカンとは程遠いシロモノなんですよ。でも慣れると結構おいしいですよ。」私はにっこりと微笑んで、自分もコーヒーに口をつける。

ぷっと和田が吹きだして私の方を見て言った。「やっぱし、先生って変わってるよな。三村ちゃんもかなりキテルけど、この事務所って先生と三村ちゃんだけでやってんだろ?他の人見た事ねーしな・・。三村ちゃんと先生ってどーゆー関係なの?」

「ほらほら、話題がずれてますよ、和田さん。私たちの事に興味を持ってくれるのはまあ、良い事ですけど、まずは貴方の心の問題が先でしょう?」

「っちぇ、乗ってくれねーな。じゃあさ、後でまた教えてよ!」
「まあ、機会があれば・・」と私は何気なしに返答したが、それが後々思いも寄らない結果を生み出すとは、その時の私は考えもしなかった.

         前のページへ  / 小説Top / 次のページへ