1話:ギャバ猫との出会い
「ねえ、いいでしょ?ママ!私、この子飼いたいの!お願い!」必死の私のお願いにお母さんはう〜んと首をかしげて言った。
「そうねえ、じゃあパパにお願いして良いって言ったら飼っても良いわよ。」(まあどうせ良いっていうに決まってるけど・・・)母親の涼子は娘が拾って来たふてぶてしい顔つきの猫を見ながらそう思う。夫の裕幸は大の猫好きだ。娘にも激甘な彼が娘の必死の願いを断るとは考えずらい。だが、一応夫に聞いて判断を任せるのが一番だ。
「わかった!じゃあ、パパが良いっていったら絶対よ?」娘の美香流は学校の帰りに拾って来たという小汚い猫を抱きしめて喜んでいる。たぶんあの子も夫が駄目だと言わない事が分かっているのだろう。案の定その晩帰って来た夫は娘が拾ってきたさほど可愛いとも言えない猫をじいっと見ると嬉しそうに微笑んだ。
「その猫、うちで飼っても良いけどちゃんと美香流が面倒をみるんだよ?」
「うん、わかった!ありがとうパパ!よかったねえ、ギャバ猫!」美香流は猫にしては大きめの身体を持つそれの身体をぶらぶらと揺らしながら微笑みかけた。
「美香流・・・なにそのギャバ猫って・・・?」私は唖然として聞き返す。
小学校2年生になったばかりの美香流はにっこりと笑って言った。「だってママ、この子、猫なのにニャ〜って鳴かないでギャバギャバいうんだもの。だからギャバ猫!可愛いでしょ?」
娘の命名のセンスにはちょっと頭痛を感じたが、どうにも本人が気に入っている様子なので私は肩をすくめると何も言わなかった。美香流が小学校の帰りにお腹を空かせていたらしい汚い野良猫を拾って来て3年が過ぎた頃、突如その猫はうちから姿を消した。
何度も猫を探して町内を練り歩き、迷い猫の張り紙を出し、そして保健所などにも問い合わせたがギャバ猫を見つける事はできなかった。
お父さんが言った。「猫は自分の死期が近くなると、身を隠すと言うからね・・ギャバ猫みぃちゃんが拾って来た3年前から随分年を取っていたからそろそろ、その時期だったのかも知れないよ・・?」
私はなかなかギャバ猫の事が諦めきれなかった。もうすぐ・・桜の花が咲く頃には、私たち一家は揃ってアメリカに行く事になっていた。科学技術者でもある美香流の父、裕幸が3年間アメリカで仕事をする事が決まったからだ。
ギャバ猫がいなくなってから1週間が立った頃、新たな悲劇が私たちを襲った。お母さんが居眠り運転をしていた車に跳ねられて死んだのだ。信じられなかった。
お葬式の日、親戚や近所のおばさん達が手伝いに来て、私の事を話していた。
「美香流ちゃん、まだ小さいのに・・・浮かばれないでしょうねえ・・・」
「車を運転していた男性、すごく酔ってたらしいわよ?」
「裕幸さん、アメリカへの栄転だったと言うのに・・・どうするのかしら」
色々な噂や話を聞くのが嫌で私はこっそりと家を抜け出た。お父さんは喪主として悲しむ間もないほど忙しい。どうして私たちを静かにほっておいてくれないのか・・・
私は溢れる涙を拭いもせず、もくもくと歩いていた。気がつくと町外れの空き地まで歩いてきていた。ここはよく、お母さんと一緒に散歩に来た二人のお気に入りの場所だった。春先には小さな野花がいっぱい咲いてとても綺麗なのだ。その時、涙でぼやけた視線の先に何か違和感のあるものを見つけた。私はぐいっと袖口で涙を拭うとじっとその物体を凝視する。
「ギャバ猫・・・・?」そう、私の目線の先には、1週間ちょっと前にいなくなった愛猫のギャバ猫の姿があった。見間違いではないだろうか。私はゆっくりと猫に近づいて行く。
目の前に忘れもしない不細工な顔をしたギャバ猫の姿があった。
「ギャバ猫!」私はそう叫んで、愛猫をゆっくりと抱き上げ胸の中に包み込む。
「お前・・・一体今まで何処に行ってたの?すごく、すごく心配したんだよ!それに、ママも・・・」そういって私は嗚咽を漏らして泣き出した。
胸の中からくぐもった声が聞こえた。
「痛い・・・いたいっちゅーねん、ちょっと離してんか!」え?涙が一瞬のうちに止まり、おそるおそる、胸の中に抱きしめていた猫を見る。まさか・・猫が話した訳じゃないよね、空耳・・?そんな事を考えていると、また目の前の猫が喋った・・・そう、喋ったのだ!
「あんなあ、うちに逢えて嬉しいのはわかるけど、あんまり力いれんとってーや。さすがのうちでもかなりきついっちゅーねん。」
「ギャバ・・猫?」私は唖然として愛猫の名を口にする。
「ああ、ほんまにそのセンスのないネーミング。最悪やな・・・今まで何度ゆうたろうかと思ってたかわからん。」猫は私の腕の中からとんと抜け出ると呆れた様子でふふんと鼻を鳴らした。
「な、、、なんで猫が喋ってるの?!」私は吃驚して悲鳴に近い声を上げた。
「こら!そんなうるさい声たてんな!誰かに聞かれてまうやろ?まあな、色々と事情があるねんって。おいおい説明したるさかいとりあえず、家帰ろうか?あんた、勝手に家でてきたんやろ?裕幸心配してんで?」
なんでギャバ猫がお父さんの名前を呼び捨てにしてるんだろう・・・なんてそぐわない事をぼんやりと考えながら、私はギャバ猫を抱き上げると家に向かって歩き始めた。
もう大分太陽が落ち、暗くなっている。確かにお父さん達も心配しているだろう、何も言わずに出て来てしまったのだから・・・腕の中にいるギャバ猫は先ほどまでとは違い大人しく美香流に抱かれたままだ。人目があるからかもしれないが、うんとも寸とも言わなかった。
さっきまでお母さんの事で頭が一杯で悲しくて悲しくて仕方がなかったのに、何故か今はギャバ猫の少し重みのある身体とそこから与えられる熱がじんわりと美香流の心をあったかくしていた。